Twitterは公共の場? パーソナルな場?

こんばんワン・ツー!
隆大( Ryuta_kanjani8)です!
皆さん今日はどんな一日だったでしょうか。

SNSの立ち位置

今日は当初GR8ESTの感想を書こうかなと思ってたんやけどちょっと気に掛かることがあったんで先にこちらの記事を。
みなさんはTwitterを始めとするSNSってどういう場所やと思ってますか?
公共の場?
パーソナルな場?

インターネットの生い立ちと現在までの流れ

ここら辺は興味のない方も多いと思うんで斜め読みでOKやけど、インターネットの元々の生い立ちって軍事目的なん。
情報を1ヶ所に集結させておくとそこを襲撃されたら全部パーになってまう。
そやから分散して管理しよう云うことでそれらをネットワークで繋いだのが一番最初の形。
それをアメリカの大学生が真似して大学内の各学部や他の大学ともネットワークで繋がるようになった。
それらはまだその大学の関係者しか使われへん形やけど民間のインターネットの原型な。

90年台の終わりにWindows98がリリースされて一般家庭へのパソコンの普及率が爆発的に上昇してインターネットはもっと身近な存在になった。
この時期が現在のインターネットの前の時代かな。
パソコン通信の時代や。
今みんながパソコンとかでインターネットに接続する時、必ずプロバイダーいうインターネット接続業者を通しとる。
代表例がNTTのフレッツ光とかDoCoMo・au・SoftBankの光通信とかYahoo!BBとかな。
スマホでインターネット接続しとる場合は自動的にその携帯業者のプロバイダーと契約しとるいうことやね。
このパソコン通信の頃はまだ今みたいなシームレスな感じとはちょっと違ったかな。
もちろん今みたいにいろんなホームページがあって自由にそこにアクセス出来る形はあったけど各プロバイダーが提供してるチャットルームとか会議室とかが主やったような気がする。

それからしばらくしてホームページブームが来て各プロバイダーの提供スペースで段々と個人のホームページが作られるようになった。
まぁ、最初はやっぱり起業してはる人が多かってんけど段々と『○○のホームページ』みたいな個人のホームページも作られるようになった。
この頃に二次創作サイトとかがいろいろ出始めたんかな。
無料レンタルサーバーとかが出て来始めたのもこのくらいの時期やったと思うな。
二次創作サイトとかファンサイトとかが増えてきてプロバイダーの提供スペースやとCGI設置とかいろいろ制約とかあって自由に出来ひんから無料レンタルサーバーとか借りてサイト運営する人が徐々に増えてきた感じ。
Yahoo!ジオシティーズとかロリポップとかがその代表例かな~。

そしてブログブームやTwitter・Facebookみたいな各SNSのブームが来て一気に現在のインターネットの形になる。
元々は何やろ、mixiがヒットしたんがきっかけやったかな。
Twitterやブログブームはそのちょっと後やったような気がする。
何にしても恐らくみんなに一番馴染みのあるのはTwitterかな?
ほな、そのTwitterって公共の場やと思う?
それともパーソナルな場やと思う?

Twitterは公共の場? パーソナルな場?

Twitterを始めとする各SNSや個人ブログが公共の場なのかパーソナルな場なのかは人それぞれによって意見が分かれるかもしらんけど僕の考えはこれ。

インターネット上に存在する全てのサービスは公共の場であり、またパーソナルな場にもなり得る

今回この記事を書こうと思ったきっかけはTwitterなんでここからは基本的にTwitterに対しての言及な。
ほんまに厳密に言うたらTwitterという場、みんなが見てる自分のツイートは公共の場やと思う。
理由は世界中の誰しもが自由に閲覧出来る環境やから。
やからTwitter上でほんまにパーソナルな空間を作りたいと思ったら鍵垢にするしかない。
要するに僕らはTwitter社からツイートするスペースを間借りしてるわけやからね。
買い取っているわけではない。
一番分かりやすい例えで言うと賃貸マンションと分譲マンションの違いみたいなもんやと思う。
Twitterユーザーいうのんは賃貸マンションを借りてる状態なんよ。
それは厳密に言えばオーナーの持ち物件やろ?
でも自分の家でもあるわけやん。
この賃貸なんやけど自分の家でもあるって感覚が大事なんよ。
ツッコミ入れるほうもツッコまれるほうもな。

賃貸でしかもマンションやねんから当然ご近所さんの目もある。
このご近所さんの目いうのんがフォロワーさんやったり通りすがりの一見さんやったりする。
鍵垢やったら鍵が掛かってて自由に家の中には入られへん形。
そやけど鍵垢やない場合は言うなれば大通りに向けて自分ちのドア全開にしとる状態なわけやからね。
そりゃいろんな人が入って来るわな。
中には置いてある家具とかに要らんことやいやい言いよる奴も居る。
居座って出て行こうとせえへん奴も居る。
押し売りも来る。
公開垢いうのんはそういうもの。
いくら自分のパーソナルスペースいう意識があっても、実際にそういう側面があったとしても何を言うてもええわけやあれへん。

注意
ただしこの場合でいう何を言うてもええわけやあれへんいうのはまず第一にTwitter社の規約・法律・公序良俗に反することな

逆を言うたらTwitter社の規約・法律・公序良俗に反していない内容なのであれば原則的に自由な発言が認められてるいうこと。
たとえフォロワー数が何万人であろうとも原則的にそれらのフォロワーや通りすがりの一見さんに阿ったツイートする必要性はない。
ある意味、お互い様やねんからね。
誰かが誰かに「私はあんたの発言が気に入らん」言うたって、その発言を見た第三者に「いや、俺はお前の発言のほうが気に入らん」言われたら堂々巡りやんか。
それ何か意味ある?
公共の場でもありまたパーソナルな場でもあるからこそ適度なスルー能力も必要なんちゃうんかな。
それと文意を正確に読み取ること。
一見ネガティブな文章やったり誰かを落とすように見える文章に見えるからといってほんまにそうやとは限らへん。
ましてや同じ文章内でそれを否定しているのにも関わらずそれに対して噛み付いていくいうのんは自分の読解力のなさを暴露してるようなもんやで。
何て言うんかな、文意をイメージとして捉えて反応してるように感じる時がある。
自分の中できちんと推敲してへん言うかね。
この文章でこの人が言いたいことは何なんやろっていうのをきちんと考えんと自分が感じた直感だけで反応する。
その感じた直感が『ムカつく』とかやったりするとその感情をそのまんま相手にぶつけてまう。
「私はあなたの発言の傷つきました」いうのんは言えても、それを受け取った相手の心情や書いた時点での相手の心情を慮ったり、その自分の発言を見た第三者がどう思うかは考慮出来ひん。
ここら辺が考えられへんいうのんは公共性を認識してないからやね。
自分がリプを投げた相手との1対1しか見えてへん。
もしくは『自分は正しいのだから他者に不快感を与えることはない』いう驕りか、『先に不快感を与えたのは相手の方だから全面的に相手が悪い』『非がある相手には何を言っても正当化される』いうことか。
それは果たしてどうなんやろ。

人の感情は一定ではない

Twitterとかでも今までにも何度か言うてきたけど人の感情って一定のものではないと思う。
何か嫌なことがあってポジティブになろうとしてもふとした時に思い出してネガティブになってまったりとか誰にでも経験のあることなんちゃう?
人間って元々自分の痛みには敏感やけど他人の痛みには鈍感なものやから、自分に余裕のない時には言葉がキツくなってもうたり普段やったらスルー出来ることにも過剰に反応してまったりする。
やけど、ちょっと待って?
傷つけられたら傷つけ返してええわけやあれへんねんで?
そもそも相手は傷つけようとしたわけやないかもしらんし。
自分の感情のコントロールは自分で付けなあかん。

ネットの世界は平等

ネットの基本原則は誰しもが平等。公正明大。
さっき何万人フォロワーが居ってもいう話をしたけど、ネットの世界では年齢・性別・職業・社会的地位は全く関係なくてみんなが平等。
よく芸能人とかコメンテーターとかの社会的影響力の大きさとかが問題視されたりするけどネットの世界に於いてはみんなが同価値で同等の責任を負う。
それがネットに於ける平等性。
これは社会的影響力が大きい職業人の発言の責任を一般人の責任と同様にまで引き下げろいうのんやなくて、むしろ一般人であっても社会的影響力が大きい人間と同等の責任を持ていうことやねんで。
それがネットの世界の基本原則。
やってみんな平等なんやからさ。
自分は一般人やから好き勝手言うてええやろいうことやないし、匿名やから誰かに噛み付いてもええやろいうわけやない。
逆に実名晒すいうリスク背負ってるんやから誰かを攻撃しても許されるいうわけでもない。
どういった状況であっても発言の全ての責任を自分で背負う。
何かあって傷付いとる状況であっても精神面や健康面に不安や問題を抱えていてもネットの世界ではそれらは考慮されへん。
それらを言い訳や免罪符として使うことは出来ひん。
あくまでもその発言の内容によってのみ判断される。
その代りそういった自分の人生の中で背負っているものによって誰からも差別されない。
それがネットの世界でのお約束。
個人がそれぞれに思いやったりとかはまた別の話なんよ。
それはごっちゃにしたらあかん。

配慮するのは自由やねんで。
でもそれはお互いが考えることであってどちらか一方に押し付けて要求するもんちゃう。
例えばTwitterでネガティブなことやねんけどどうしても吐き出したい事とかネタバレ感想とか言うのは個人の自由です。
閲覧側には『見ない』いう権利と選択肢があるわけやし、それでもうっかり踏んでまった時にはそれなりのスルー能力も必要。
リプやDMで送り付けられたいうのんやない限りそれは自己責任の範疇のことやねんから。
そやけどね、発信側にも何らかのワンクッションを置いて極力そういったツイートを目にしたくないと思う人の目に触れんようにする配慮もあったら。
これは決して強制ではないねんけどお互いにそういう配慮をし合えたらもう少しトラブルも減るんちゃう?
落ち込んでいっぱいいっぱいな時に他人のことまで気遣ってやる余裕なんかあれへんわ思うかもしらんけど。
そんな時に自分から新たなトラブル抱え込んでどうするん。
余計落ち込むだけなんちゃうの?

愚痴とか弱音とかTwitterに書くなとは言いません。
僕は極力そういったことは書きたない思うほうやけどそれは人それぞれの考え方やし、吐き出して気持ちが楽になることもある。
僕が個人的にあまりそういう発言をしたないと思うのは、それは読んだ人にそのネガティブな感情を分け与えてしまうことに繋がりかねないから。
そういった感情を吐き出すのは実際に身近に居る複数の人に言うたほうがええと思っとる。
そやけどその一方でね、身近にそういう人がそう何人も居れへんいう時は普通のツイートとして吐き出してええんちゃうとも思っとる。
そういうのってほんまに信頼出来る人だけに聞いてほしい話やとは思うけどリプとかDMとかでひとりの人に吐き出してたらその人は逃げ場がなくなってまう。
そういったストレスを上手く消化出来る人やったらええかもしらんけどネガティブな精神状態って引きずられてまうんよな。
僕は昔、希死念慮のある人の相談をずっと聞き続けてて自分の命を引き換えにして止め続けて最終的に「じゃあ一緒に死ぬ?」ってとこまでいってまったことがあるんよ。
その時に「ひとりで支え続けるのんは限界がある」って思ったん。
僕はそういったことの専門家でもないし。
それでそういったことへの対応を間違えるとほんまに人が死んでまうってことも知った。
その相手の方は亡くなってないですよ。
その後にいろいろ経験したり調べたりする過程でね。
見捨てると思われてまうかもしらんけどやっぱり専門医の手に委ねるのが一番いい。
そして複数の人でサポートする。
そうせんと下手したらサポートする側も共倒れになってまう。
そうならんようにね、負担を分散化するいうのんは大事やと思う。
TwitterでリプとかDMとかって形でそういった話が来たら逃げ場がないやないですか。
でもツイートやったらね、余裕のある人は反応する、余裕がない人はスルーするって各自で選択出来るから。
矛盾するようやけどそういう悩みとか愚痴とかを僕に言わんとってくれってことではないですよ。
まぁ、今はさすがにね、それなりの歳にもなったんでそれなりの対応の仕方も覚えましたから。
そやけど場合によってこれは俺の手には負えんなって思ったら病院行け言うで。
あと自分の落ち込んでる気持ち何とかしたい思ったら落ち込んでる人の話聞いてアドバイスするいうのもあるよなぁ。
俺が落ち込んどる場合やないわって思うから。
まぁ、これは結構な荒療治に近いんであんまオススメはせえへんけど。
自分がどういう状況にある時に気分が持ち直せるか把握しておくことも大事。

便利ツール

さっきネタバレ防止とかにワンクッション置いていう話したけどそういう時に使えるTwitterツールがこれ。

どっちも長文対応しとるしぷらいべったーのほうは画像貼り付けにも対応しとるからリリース物のネタバレなんかにええかもしらんね。
まぁ、使う使わないは各自の自由やねんけどこういう配慮があったら書く側も読む側も幸せかな~。
ただひとつだけ注意せなあかんのはこれらは確かに便利で読み手側にとって嬉しい配慮やねんけどそれを強要するのはあかん。
「こういうのがあるのに何で使うてくれへんの!」いうのは無しやで。
何度も言うようやけど閲覧側にも見ない云う選択肢もあるしある程度のスルー能力は必要。
そのためのミュート機能やブロック機能やねんから。

あ~、あとこれは蛇足やけどね、たまにブロックされた言うて相手を晒したりしてる人居るけどブロックもミュートも正当な権利と選択肢のひとつやからね。
そりゃ特定のワードだけやなくてツイートそのものをミュートされたりしたらキツイけど責めることは出来ひん。
こちらはこちらでその人に対してどういう対応をするかを考えるしかない。
ただミュートの場合はね、クライアントのツイート所得ミスとかあるからなかなか判断が難しいところやねんけどしばらく様子見て明らかにミュートされとるなって感じたらリムるいうのんもひとつの対応策やと思う。
そこはお互い様。
あの~、ブロックした相手を晒すようなことしたらね、見た人には「ブロックされて可哀想」とか「ブロックするこの人は悪い人」とかやなくて「そういうことをするような人間やからブロックされたんちゃうのんか」って思われるで。
他のツイートでどんだけ着飾っとってもそういうところで人間性出るからな。
人間、怒ってる時が一番本性出るから。
「その人のことを理解したかったらその人が何に対して怒りを感じるかを知れ」って言葉もありますし。
それだけ怒りって感情は人間にとってコントロールが難しくて本性がむき出しになるんやろね。

まとめ
  • Twitterを始めとする各SNSは公共の場でもあるしパーソナルな場でもある。
  • ネットの世界は誰もが平等。個人の置かれた状況は発言の免罪符にはならない。
  • 配慮があれば嬉しい。でも配慮は他人に強要するものではない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。